をとめのすがたしばしとどめむ
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    1971年に生まれ、新潟県で育つ。  青山学院大学英文科卒業後、 日本エディタースクールにて学び、 以降、出版社、編集プロダクション等にて 企画・編集・執筆・デザイン・DTP・Web制作など担当。 現在、フリーランスにて上記ほか、さまざまな活動に従事。

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愛のメモリー from ツイッター 〔2017-02-24 – 2017-02-24〕

  • 2月 24 2017/
  • tazakky /
  • 多雑記
  • 11:04:31, 2017-02-24うつは病気じゃないな。だから治りようがない。「うつなんて甘えだ」なんて思い込みやすいひとが行ったり来たりしている反復シーソーで、そのバランスの基準点を社会的自己との擦り合わせに置いているだけで、治った治らないとか言ってるだけ。
  • 11:06:49, 2017-02-24そういう意味では、時間どろぼうに支配されたこの社会はみんなうつだわな。
  • 13:10:12, 2017-02-24私たちは内的な時間を尺度にすべきであって、外的な時間を尺度にすべきじゃないということだけは、再び学び直さなければなりません。私は『モモ』の中でそれを試みた訳ですが、時計で測れる外的な時間というものは人間を死なせる。内的な時間は人間を生きさせる。(ミヒャエル・エンデ)
  • 13:12:58, 2017-02-24もちそん宇宙の中には太陽と月があって、その関係の中で時間が測られる、そちらも必要です。私は、なにも内的時間という別次元のことだけを言うのではありません。ただ人間がもう一つの時間を忘れてしまっているから強調するのです。(ミヒャエル・エンデ)
  • 13:16:26, 2017-02-24能の中で行なわれているのは、疑いもなく内的時間です。それはときどき非常に速まるし、パアーッと展開することがある。かと思うと、すごくゆっくりした呼吸のリズムに戻る。そもそも芸術は、内的時間を体験させるものであるはずなのですが。(ミヒャエル・エンデ)
  • 13:17:58, 2017-02-24『モモ』のカシオペイアの背中に出た「オソイホドハヤイ」とか、あるいは逆に「早くすれば遅くなる」などの、内的時間と外的時間の関係性が真理であることは、実は誰もがしょっちゅう経験しています。ただ気がつかないだけです。(ミヒャエル・エンデ)
  • 13:19:45, 2017-02-24ヨーロッパでは何でも二元論で考えるようになっていますから、内的時間と外的時間の知覚を問題にしても、主観と客観に分けてすまそうとします。その場合、客観のほうが真実であって、主観は嘘のものという前提がある。私はこれに断固反対したい。(ミヒャエル・エンデ)
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