「冬至に日の出参拝をするといいらしい」という情報を聞きつけて、いつもより3時間も早く起きだして、東南東を目指して散歩にいくことにしました。グーグルマップで下調べしたところ、この向きなら家から近くの多摩川で視界が開けるか…と、当たりをつけていざ出発。
まだ大半が薄暗い色した空のうち、東の方向がわずかにオレンジに染まる朝焼けの中、校了日の徹夜明けの朝を懐かしく思い出しながら、『大都会』を口ずさんで環八を渡ります。ふだんならグッスリ夢の中のこの時間、幹線道路はすでに多くの車が行き交い、お世辞にも清々しい空気とは言えませんでしたが、世の中には働き者さんたちが多いのだなぁと感心せずにはいられませんでした。
お不動前の坂を下って、土手の通りに出ます。多摩堤通りは歩道がないうえ、車がびゅんびゅん走るキケンな道…なのではありますが、河原まで降りると視界が下がってしまうため、あえてこの道を行くことにしました。
東に向かい歩きだすと、200メートルくらい先の緩いカーブを抜けたあたりに、黄金に輝くポイントがあることに気づきました。私を追い抜き走り去る車も、遠くから走り来る対向車も、そのポイントを通るときに車体を黄金色の輝かせているように見えるのです。「あそこに行けばきっとなにかがあるに違いない」そう確信したワタシは、
「さあ、出発だ〜、今、日が上る♪」
と、マルコのような心境で丸子橋の方向を目指します。
…そして、(丸子橋よりはずっと手前でしたが)、緩いカーブまでたどりつき、視界を遮っていたビルを抜けた瞬間、ドカンと大きな太陽が顔を出しました。
というか、もうすでに太陽は出ていたいたわけですね…。日の出の瞬間には間に合いませんでした^^;)
ヤッホー!
ヨロコビのあまり思わず叫びだしてしまいました。丸子橋の向こうに見える日輪は、もうすでに河川敷からも十分見える位置にあり、デカ盛りどんぶり以上の大迫力で、私を待ち受けておりました。
すんげぇ〜なー、素直にそう思えました。
しばし見とれたあと、持参したお茶とおいなりさんを食しました。
太陽に向かってラップをはがした時にふと思ったのは、この米も揚げの大豆もにんじんもしいたけも、太陽がなきゃ育たないんだよな〜。っていうか、太陽がなかったら地球上には何ひとつ存在できないんじゃん。ありがてぇな〜。なんかあったり前のことが、ひどくしみじみと感じられたのです。
ああ、こういうのを肚に入るというんだな、そう思いながら一晩たって味がなじんだてづくりおいなりさんを腹におさめたのでした。
「太陽参拝」の本質がようやく少しわかってきたな、というそんな一日のはじまり。
帰宅後、二度寝してしまったこと、カレンダーを確認したら冬至は明日だったことは、ご愛嬌ってことで。
陽は昇る、いい詞です、北岳の頂で、九十九里浜で太平洋の波間にと、~
若き日、胸躍らせた記憶・・・・されど八月十五日、真青に晴れわたつた、
空にぎらぎらと輝いていた白昼の太陽。十五歳の夏の記憶。
太陽はいろんな記憶とつながっていますね。
思えば、長い人生、一日たりとも太陽が昇らなかった日はないわけで。
たとえ厚い雲に覆われていようとも、その奥にはかならず太陽がいるんですもの。
あたりまえすぎて、なんか大事なことを忘れてしまっていたようです。
今日は良い経験ができました。