ランドセルで思い出したこと

私、そろそろ孫がいてもおかしくない年齢にして
ランドセルを愛用しはじめました(笑)。
長時間歩くときはきちんと背負いますが、そうでないときは片側だけをかけています。
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背中に背負うといっても、リュックよりもかなり上の位置になります。
そうするとね、姿勢がとってもよくなるのです。大胸筋がぐんと張るかんじです。
そりゃそうですよね、小学生対象の作りなのですから。
Tシャツにパンツ姿でランドセルだと、大きな小学生(笑)です。

ふと子育て中におんぶしていた感覚を思い出しました。
幼い子をおんぶしたり下ろしたりするには要領がいります。
一番最初は手伝ってもらいましたが、あとはひとりでおんぶして下ろしていました。

赤ちゃんといえども人間をおんぶするということは、人の人生を背負っているのだなあとしみじみ感じたものです。

おんぶされた子どもは、私がしていることを、背中越しに眺めるわけです。
擬似体験しているとも言えますね。
なんか意味深いです。

前抱っこのベルトも持ってはいましたが、家事をするのにはおんぶするほうが危険度も低く、便利でした。
妊娠中にはお腹に意識が集中するので、産後は背中にも意識を向けるものとしていいかもしれないですね。

子どもたち(男女)は、2〜3歳になるとお人形をおんぶしたがりました。
なので紐でピカチュウのぬいぐるみを背負わせてみたりしました。
子どもながら、背負うことの意味を知っているのかもしれませんね。

田舎のほうでは、満1歳になると「一升餅」といって大きなお餅を用意して
それを子どもに背負わせます。真似っこだけでもいいのです。
ようやく歩けるようになった時期に、ひとつの通過儀礼的なものでしょう。

ランドセルを通して、こんなふうに背負うこと、責任を負うことへの決意みたいなものを思い出しました。
ちょっとのことではありますが、身体の使い方と意識の在り方の関連性はおもしろいなあ〜

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(写真はお腹の上に二子玉川のビルが建っている様子)

そうそう、背負う(受け止める)覚悟が決まるとね、案外困難はやってこないものですよ。

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