コメントでいただいた“イヤ汁”の意味がわからなくて、調べてみました。
(元本を読んでいないのバレバレですな。読んでないのに分かったふうなのはワタクシの問題点のひとつなんですが、それはひとまず先送りにしつつ。。)
この方の考察にとてもわかりやすく、周辺情報も含めてまとめられておりましたので、『結婚の条件』(小倉千加子著)や『オニババ化する女たち』(三砂ちづる著)も含め、またも読んでいない本について、わかったつもりになってしまいました。
で、だ。いくらイガクテキに10代後半から20代前半の出産が望ましくても、そこいらの年代が親というのはいかがなものかと、我が身をかなり棚奥にしまいこんで考えてみる。
晴れ着姿でくわえたばこで歩くようなの娘さん(天野祐吉氏目撃)たちが母親だとしたらそれはそれはとても怖いコトである。成人式を早めろとか遅らせろとかいう意見もあって、最近の若いモンは…と始めてしまうと、きっとワタクシ自身からイヤ汁が染み出てきそうなので控えますけど、一社会構成員として言いたいのは、躾がなっちゃないこどもとか、やたら不憫なこどもとか、端から見ていて不愉快だったり切なくなったりするこどもが満ちあふれるのは耐え難い訳でして。
出産が医学的とか生理的な問題で、子育てとか教育が社会的な問題で、両方の適齢期に折り合いがつかないというのであれば、いっそ分けて考えてみたらどうでしょう。
若い娘は産むだけ産んで、育てるのは社会性も経済力も身につけた“負け犬”たち、とかさ。
独身女たちは自らのエネルギーを注ぐに値する、社会における適切且つ意義ある役割を与えられることによってオニババ化せずにすむっていう寸法です。
ペットにあれだけの愛情を注げるのであれば、他人の子だって最初からちゃんと面倒見ればきっと育てられますって!
…なんて、安易に考えてみたところで、野田聖子。問題はそうかんたんではないようです。
不妊治療ってえらい大変なんだってね。金もえらいかかるらしいし。「そうまでして自分の子が欲しいのか?」って思ってしまうワタクシには、やっぱり母になる才能がないのかしらん?
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自分の子を持つかどうかは、自分ひとりの問題じゃないからでしょうね>泣き叫ぶほど痛くて面倒で金と時間がかかっても不妊治療をする人がいる事実。
(なぜ痛いと知っているかというと、婦人科で不妊治療のときするのと同じものを受けたことがあるので)
ひとりでそのことを決めてもいい(ブーイングは来ても)立場の人間でないと、負け犬として遠吠えすることはできないわけで。
そのへんが酒井さんはわかってるのか何なのかわからない。
私は東京生まれだけど、ずっと東京しか知らない人のアタマの中は、ほかの地方の生まれの人よりも謎です。
それにしても…読んでなかったとは!
私に例のドラマを見ろといった友人も実は未読。
しかもその友人も、タザッキーさんと同じく、未読なのに内容を誤解せず理解している。
ほとんどの人は誤解しているのにねー。
たぶん朝日新聞とAERAがこの本をとりあげたときに招いた誤解だと思いますが。