自分の名医は自分

かつて私は、利き手の右手がほとんど動かなくなったことがありました。
原因は、おそらくはストレス。。。
シャツのボタンができず、箸が使えず、文字が書けませんでした。
亡き祖母が晩年、リウマチを患っていて、手の指が縮こまっていたと聞き、私も遺伝でリウマチなのかしら。。。と日々動かない右手を見つめていました。
病院へ行って検査をしても、結果は異常なしです。
雑巾を右手で持って、左手で右手の腕を支えて拭く練習をしました。
箸をテーブルに何本も転がして、掴む練習もしました。
動かなくて、はがゆくて、カミソリに手が出たこともありました。
しかし、なんとか固まった手をほどこうと、いろいろ試みました。
呼吸法、イメージトレーニング、ストレッチ。。。。。
いろんな病院も行きました。
このままでは自殺するかもしれないから、お母さん、この子を見守ってくださいね、とまで言われました。
固まるのは身体だけではありませんでした。
同時に思考も、心も、感情も動かなくなってしまいました。
でも、人間の回復力というのは素晴らしいです。
そういう状態になったのも意味があるのだろうと受け入れました。
手は身体の末端部分。ほどくならまず幹からだと考えました。
背中をほどく。。。。。。
体幹をほどいて末端をほどく。このアプローチはよかったようです。
これが今の施術に役立っています。
もし、右手だけをなんとか動かそうとしていたら、もしかしたら無理がきていたかもしれません。
身体と心はとてもリンクしています。
ほどくには、そのポイントになるところがあると思っています。
物事を全体的に捉えるということを知りました。
ある人は、石の塊を見たときに、その目がわかり、そこに楔を打ち込めば
固い石でも割れると言います。
もつれた糸も、ほどくきっかけとなる箇所があります。
人の身体も、何かが原因で、偏った固まりがあるのなら、どこかにほどくきっかけはあるでしょう。
ある名医は診察のときに、「どうやってその病気を作ったのか?」と質問するそうです。
自分の名医は、実は自分なのかもしれませんね。
テーマ:からだと心は一緒に病む

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